肩凝りが治らない

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舞台「炎立つ」(について自分の中でもきちんと整理できてないけど)感想

こんにちは。

 

観劇前に、の記事がたくさんの方に読んでいただけているようです。ありがとうございます。なにか参考になることがあれば嬉しいです。

わたしの観劇は東京公演2回で早々に終わってしまいました。

8/12(火) XB列下手

8/22(金) 中2階バルコニー下手

ステージに近い席と後方とバランスよく観られました。

今回の観劇のきっかけは三宅健くん出演というところからでした。座長公演じゃないのが今回初めてなんです。会場もグローブ座ではないですし、ジャニーズ畑じゃない舞台での脇役、それも今までにない役柄というのでとても楽しみにしてました。時代劇ベースのお芝居で役柄も悪役(というと少し違いますが)、どれも今まで見たことのない健くんなので開演するまでは見当がつかない状態でした。

始まったら、そんな顔するんだ!そんな声出るんだ!の連続で19年もファンやっててまだまだ新しい顔が見られることが嬉しいです。イエヒラにキャスティングしていただいてありがとうございます。

この舞台「炎立つ」は観なきゃ気にならないかもしれないですが、1回観たら2回目を観たくなるような舞台だと思いました。わたしの観劇は10日開いてたんですが、その10日で全てがとても良くなってたし、キャストの熱と芝居が噛み合って本当に家族に見えたりもして・・・これから地方公演観劇される方が羨ましいくらいです。

 

ここからは舞台全体の感想になります。内容に沿ってしまうのでこれから観劇の方はブラウザを閉じることをおすすめします。(歴史的なことなど間違ってるところがあったらご指摘ください)

 

「奥州藤原四代」を読んで舞台に臨んで、1回目の観劇の後に原作の「炎立つ」を読みました。やはり著者によって細かい設定が変わるものですね。その違いもおもしろかったです。

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パンフレットは2種。今買えるのは装丁が白の方です。黒い方は前半で売られていたもので黒:稽古写真、白:舞台写真の違いだけでインタビュー記事などの違いはありません。

メイク・衣裳

メイクも衣裳も所謂”時代劇”ではありません。髷も結わないですし衣裳もその当時の着物ではないです。メイクは人間ではないコロスの4人・アラハバキ、巫女であるカサラは濃かったです。イエヒラも3段階でメイクが濃くなっていくのでアラハバキに心臓を預けた時点で人間ではない、ということなのかも。

コロスの4人は包帯のような白い布を頭に巻き、衣裳も白ベースだけど所々血がついたように暗い赤が入っていて、なんとなく不気味な雰囲気。でも目の下から頬にかけて涙のようなキラキラが一筋入っていて、傷ついた民や泣いている民を表現しているよう。

舞台は一千年ほど昔の出来事を扱ってはいるけど、この話は現代にも通じているということを言いたいんだとしたら衣裳が時代を捉えにくいデザインをしているのも分かる気がします(役名がカタカナなのもそういうことなのでしょうか)。ただ気になったのがユウとキリの衣裳の合わせが左前だったことです。このふたりは最初から死ぬ運命だったということを意味しているのでしょうか?

 

コロス

原作が「炎立つ」とはいえ原作にいないキャラクターも出てきます。今回はたった13人の舞台なので、それだけじゃこの時代の登場人物は足りない。コロスの4人は時に兵になったり、民になったり、語り部を担ったり、舞台装置の一部になったり・・・とにかく役割は様々です。この4人がいなかったらお話が前に進みません。とはいっても4人で3千の兵とか3万の兵とかを表現するのは難しいですよね。数の部分はほとんど語り部の説明で想像するというシーンが多かったんですが、中途半端に兵を用意しないことで想像力が頼りになって逆に大人数というのを想像しやすかったです。舞台装置がシンプルだったのも集中できる一因になりました。

イエヒラに迫られて怯えるコロスのシーンが好きです。この怯え方でイエヒラがどれだけ暴君なのか分かりますし、同時にイエヒラの傍には彼を慕っている人が誰もいないことも分かります。

 

カサラ

カサラ役の新妻聖子さんが登場後すぐに歌うので、ここで「これはそういう舞台なんだ」ということが分かります。栗山民也さん演出の舞台を観劇したことがなかったのでどういう舞台をつくられる方かも知らなかったんですがカサラが歌ったことでなんとなく方向性は掴めたと思います。ジャニーズ畑の舞台、特に健くんの舞台しか観たことが無いという三宅健ファンは戸惑ったんじゃないかと思います。ミュージカルでもなく役者が歌い出す舞台というのは初めてなので。

新妻さんの声が伸びやかで高音も綺麗で歌詞も台詞の流れを汲んでいたので、滑舌もはっきりしていて分かりやすかったです。歌で説得力を持たせないといけないような役なので、新妻さんの実力はさすがですね。ピリッと空気が締まります。

カサラも原作にはいない役で(近い名前の人が出てはきますが)、神霊アラハバキの声を伝える巫女という役所。

 

アラハバキ

平さんの迫力が凄かったです。メイクもさることながら、イエヒラを操るシーンではもう見るからにアラハバキが強そうで。イエヒラなんかが到底どうにかできる存在じゃないっていうのが分かります。

清衡と家衡、もうひとりの兄弟である真衡が今回の舞台には出てこないのでそこの歴史的に説明できないところ(後三年の役の一部)をアラハバキが補ってました(イエヒラを戦に向かわせたり)。

 神霊といってもその土地の神で人のような感情(善悪)なんかは無いので、とにかく恐い存在です。

 

ユウ

母親、っていうのだけはなってみないと気持ちが分からないものなんでしょうか。他の役に対してはこういうことかなぁっていうのが想像できるんですが、ユウの気持ちが全然想像できない。楽土の夢を成し遂げたいのは分かる。でもそればかりを追いすぎて近くのものが見えなくなっていたのかな、っていうのがイエヒラとのやり取りでなんとなく。イエヒラにも自分の血が入っているから言わなくても理解してくれると思ったのか、兄であるキヨヒラを立ててくれるものだと思ったのか。敵に嫁いだことで本心なんて明かせない苦しい日々があったわけですが、せめてイエヒラに母として導けることがあったんじゃないか、とどうしても思ってしまうんです。いきなりキヨヒラばかり持ち上げたらイエヒラも嫉妬しちゃうのはしょうがない・・・と思って原作を読んだら清衡が結有を叱責する場面が何回か出てきてスッキリしました。男と女では戦って違うものですよね。

 

ヨシイエ

ある意味一番のキーパーソン。この人の人物像をどうするかによってキヨヒラとイエヒラも変わってきます。原作の源義家が好きな方は舞台でのキャラ設定に不満を感じるかもしれません。でもそこまで打算的でもなく、かといって手柄が欲しくないわけでもなく、という。これも真衡がいないので、イエヒラをけしかける役割を担ってました。イエヒラに冷たくして戦けしかけて、とだけ見れば今回いちばんの悪人はヨシイエな気もしますが前九年の役からの流れを知っていれば経清との関係だったり清原との関係がありますから、イエヒラに冷たくしてキヨヒラを持ち上げるのは人間の感情として酷いことでもないように思います。

益岡さんの演技で好きだったのは戦が始まって雪にかこまれていくシーンです。コロスが大きな白い布を広げて雪原を表現したのですが、本当に雪の中にいるかのような喋り方!「寒い」とは言わなくてもそれが表現できるのはさすがです。

 

イエヒラ

悪役として見てしまえばそれまでですが、野心の塊でした。この時代に於いては正しい人だと思います。棟梁になって広い土地を手に入れて領土を拡大して、というのがこの時代誰もが夢見ていたことだと思うんです。そこには今みたいな道徳心よりも野心が優先されるのが当たり前なのかな、と。この時イエヒラ自身が若いのもありますが、本当に子供のようでした。欲しいものは手に入れたい、棟梁になってキヨヒラを打ちのめして一族に、母に認められたい。

途中ユウの霊?が出てきて手をそちらに伸ばしたときと最期ユウに連れ立たれるときの不器用な感じの笑顔が哀しかったです。

ヨシイエに沙汰を言い渡されたときの「不満です。めっちゃ不満です」っていう顔と声が子供のようで、ああこれは健くんをキャスティングしたの分かると思いました。若く見えて声も若く聞こえるのが重要だったように思います。すごくこの子バカっぽいなぁ(言葉は悪いですが)、というところからの後半ボロボロになっていく振り幅。序盤では声を掠れさせて無理に感情抑えているような演技をして、後半になると一転して大声を出すのでそんな声出るんだ!と驚きました。「俺は・・・なんだったんだ」と段々声を失くしていくシーンでは観ているこっちがぶわっと汗を噴き出すということもあって、鳥肌が立ったことはあっても汗が噴き出たことはないのでそれだけ集中して観ていたのかな。

かわいい皆に愛されてる役を見慣れていたので、パブリックイメージを壊すような役もやれることを見せてくれて、ドキドキしました。

 

キヨヒラ

 どれだけ耐える人生だったのかと。事実を見ているだけでもかなり壮絶な人生ですよね。一番守りたかった家族を亡くして、それでも楽土を成就しようという・・・普通だったら立ち上がれなくてもおかしくない状況だと思います。パンフレット読んでいて清衡には神がついているとしか思えないというようなことを原作の高橋克彦さんが仰ってますが、同意見です。

皆の平和が個人の平和とは言えないんじゃないか。家族亡くしてるわけですし。1回目の観劇のときはキヨヒラのことが全然分からなかったんですが、2回目のときは少し理解ができるような気になりました。愛之助さんの演技も感情の幅が大きくなったような気がして。特にイエヒラに対してですね。ユウとキリが死んだ恨みでイエヒラとの戦に決起して、でも本当にそれだけでいいのかと悩んで、イエヒラの最期を見て「痩せたな・・・」と呟いた一言が本当に弟にかけた言葉のように聞こえて。イエヒラ相手に怒りから優しさを見せてて、それが家族らしくてよかったです。ヨシイエに対しては身内じゃないからそこまで感情を見せないのもメリハリがあって、キヨヒラの背景がよく分かるようでした。

 

平和な世を目指し、それを成し遂げるために争わなければいけない。

一族の楽土の夢のために兄弟同士戦わなければならない。

今でも戦争の理由は似たようなことですよね。キリの台詞の「なぜ戦わなければいけないのか」は誰もが聞きたいことだけど、誰も答えを持っていない質問にも思えます。

いつこの歴史の繰り返しが止められるのか。難しいテーマですね。

 

この舞台の上演が岩手でもやることから、東日本大震災の復興についてコメントしている役者や制作もいますが、実際どうかはわたしには分かりません。東京で帰宅難民になったくらいで大した被災もしてないわたしが東北の人が上演を喜ぶだろうね、とは軽々しく言えません。

何もないところから家族を失っても楽土を夢見て復興を成し遂げた清衡と重なる部分はあるかもしれませんが、戦と震災では状況も異なりますし・・・。

でも日本全国どこの土地でも言えることかもしれない、と思いました。現代になるまで歴史はほとんど戦争と共にあって、繰り返し起こる戦争に何もかも無くなった土地も多いはず。そこから復興した大地に立ってることを思えば少しでも気持ちは寄せられるかもしれません。

観るだけでもすごく体力を使った舞台でしたが、観劇できてよかったです。岩手公演を観劇される方の感想が読みたいです。